7月15日放映 脱出島家族対決特別編のみどころ
「脱出島家族対決特別編」の舞台に登場するのは、これまでの番組でその圧倒的なパフォーマンスで絶対王者の地位を確立しているあばれる君と彼の小学2年生になる長男の親子です。
これは彼が親子として初めて番組参加を果たす貴重な機会になります。
あばれる君親子の強力な対抗馬として立ちはだかるのは、タレントの土屋アンナとその14歳になる次男のシンバくんです。
さらには、常に二人一緒という姿からおしどり夫婦として親しまれている佐々木健介と北斗晶が加わります。
本番組では、親子で手を取り合って火を起こす試練に挑戦します。
あばれる君の息子が火起こしに挑む姿は、見る者を感動の渦に巻き込むでしょう。
その挑戦を終えた後に流れる涙の理由は、視聴者の皆さんにはぜひ番組でご確認いただきたいと思います。
また、土屋アンナとシンバくんも母子で火起こしに挑むシーンは圧巻です。
さらに今回の番組では、北斗晶が特定の食材を用いて、その持ち前の料理の腕前を存分に見せつけます。
その一方で、佐々木健介は新たな発想から生まれる画期的なイカダを完成させ、その豊かなアイデア力を見せつけます。
これらすべてが、「脱出島家族対決特別編」と題されたこの番組に集約されています。
果たして最後に笑っていられるのは、どの親子なのか、結末は一体どうなるのか。
視聴者の皆さんには番組を通じて、その答えを直接確かめていただきたいと思います。
あばれる君について
奥さん・由夏さんとの馴れ初め
彼の妻である由夏さんとの出会いの経緯について語ってみましょう。
彼がまだ高校2年生で16歳の頃、1歳上の由夏さんと恋人関係を始めました。
それから数年後、彼が毎月の収入が9万円を越えた瞬間、「これがその時だ!」と確信し、由夏さんに思い切ってプロポーズしたのです。
彼が彼女の心をつかんだのは、文化祭のステージ上。
彼はくまのプーさんやオリンピックハンマー投げ選手の室伏広治さんを模したパフォーマンスを全身タイツで披露し、その独特な雰囲気とユーモラスな演技で観衆を爆笑させました。
その瞬間、「この子は芸人になると宣言してるほど面白い。
絶対に一緒にいる方が楽しい!」と、彼女は彼との交際を決意したのです。
由夏さんは彼よりも早く卒業し、地元の看護学校へと進学。
一方の彼は翌年、都心の大学へと進学しました。
これにより、遠距離恋愛をすることになりましたが、彼女は毎月、片道3時間3000円のバス代を負担して東京まで通い、大学の授業と看護の実習、そしてアルバイトを組み合わせることで時間をやりくりして交通費を捻出していました。
そしてついに、由夏さんは東京の病院で看護師として働き始め、彼と阿佐ヶ谷駅近くのアパートで同棲を始めました。
しかし、働きづめの毎日から疲れ切ったある日、彼女が『たまには家賃を払って』と彼に頼み込んだのです。
彼自身も一所懸命に働いていましたが、結局は芸人としての予定がない日だけのアルバイト収入であり、“お金がないよ”と言わざるを得ませんでした。
彼女が絶望して泣いてしまったとき、彼は自分がもっと一生懸命に働いて生活を支えなければならないと気づかされたのです。
そして、彼はテレビ番組「めちゃ×2イケてるッ!」の新メンバーオーディションで注目を集めることとなり、ゆっくりとしかし確実に人気を得ていきました。
そして、ついに2013年、彼は価値ある仕事を手に入れ、彼女に改めてプロポーズ。
「ゆかちゃん、結婚しようか」というシンプルで真剣な言葉を彼女に告げ、2人は結婚の道を歩み始めました。
結婚式は、イタリアのトスカーナ地方にある古城で行われ、幸せを結んだのです。
あの特別な一日、プロポーズにおいて、手作りのアクセサリーを自分の手で作り上げ、その気持ちを込めて渡した時のことをお話ししましょう。
その瞬間、由夏さんの瞳からは嬉しさが溢れ、感じ取った感動を涙として流していたそうです。
本当に、とても感動的で思い出深い記念日となったようですね。
できるだけ長くその日の感動を心に刻み、何年経っても忘れないようにしたいところですね。
2人の息子たち
実は彼には、かわいい二人の息子さんが存在します。
それぞれの日常での愛称は「ちびれる君」、「ちびれる君セカンド」と親しみを込めて呼ばれております。
二人の息子さんはそれぞれ個性が違う、いろんな才能と可能性を兼ね備えていることでしょう。
長男のちびれる君は、2016年6月9日生まれ。
彼ももう現在8歳で、すっかり元気に小学校の2年生を楽しんでいます。
一方、ちびれる君セカンドは、2021年8月12日生まれで現在2歳になります。
年齢は5つ離れているものの、お互いに学び合い、成長し合う良き兄弟として共に過ごしていくことでしょう。
彼らも一日も早く、父親であるあばれる君の活動に刺激を受け、テレビやSNSといった場所で自分自身を表現できる日が訪れることを期待しています。
その日が来たら、きっと私たちも感激することでしょうね。
感動のエッセイ
あばれる君は、自身の初めてのエッセイを公開しています。
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過去の彼は、一人暮らしをしていることから、家族という存在の価値についてあまり深く考えることはありませんでした。
しかしながら、彼が人間らしさや他人への優しさを学ぶきっかけになったのは、彼の配偶者であるゆかちゃんとその二人の子供たちからでした。
そのエッセイでは、彼が実感した妻への感謝、子供たちとの温かな交流、若かったころに経験したアマチュア芸人時代の苦労、プロの芸人としての成長、そして合格率わずか5%という非常に難しい気象予報士の試験への挑戦などが綴られています。
それらを通して彼の誠実かつまっすぐな人間性があふれ出ていて、とても心温まる1冊になっています。
彼は妻であるゆかちゃんと出会ったのは高校生の頃で、彼の1学年上であった彼女に一目惚れをしてしまいました。
当時まだ17歳だった彼は、「私は生涯のパートナーとなる最強の人を17歳にして見つけたのだ」とエッセイ中で述べています。
大学3年生の時、彼はアマチュアのコメディアングループに参加し、コメディアンとしてのキャリアを開始しました。
しかし、毎晩行われる厳しいリアクションの練習や団長による理不尽な指導により、「これが本当にお笑いの世界なのか?」と疑問を感じるようになりました。
そんな中、彼は現在所属しているワタナベエンターテインメントが主催する大学生向けのコメディーコンテストに出場し、審査員特別賞を受賞しました。
その後、同事務所の養成所に特待生として入ることになります。
養成所を卒業したものの、コメディアンの仕事だけでは生計を立てることができず、アルバイトで得たお金もパチンコによりすぐに使い果たしてしまいます。
家賃の支払いは次第に妻のゆかちゃんが負担するようになり、その厳しい状況の中でゆかちゃんは初めて涙を見せたといいます。
「なぜお金がないの?」と感情が溢れ出てしまいます。
彼がはじめて彼女の涙を見たその瞬間、彼は「人生を真剣に生きなければ」という思いを強く持つようになりました。
「日々の仕事が厳しいものであり、昼間と夜間とを繰り返し働き、人たちの援助のために励んでいた時期がありました。
その中で、希望的観測を続けていた私にとって、自宅に戻ると固定的な収入がないことが自分自身を圧迫し、それが支えなければならないと感じることは、初めての経験だったと言えます。
自分自身がそれまで生きてきた中で、他人の感情を深く考慮するという気持ちに欠けていたことには、少し恥ずかしく思いました。
私が背負っているのは、ゆかちゃんの夢であると認識し、自分の無礼な思考で彼女に働いてくれるよう求めていました。
彼女の優しさも、すでに限界状態に近づいていました。
その時期になると、自分自身の人生を真剣に見直し、取り組まなければならないという理解が深まりました。」
(「ゆかちゃんが泣いた」より引用) あばれる君が人の感情に思いを寄せるようになり、他人に対する思いやりを学ぶきっかけを作ってくれたのは、彼の妻であるゆかさんでした。
家族とのふれあいを通じて、最も大切な家族の情緒を育て、そんな想いが、「自分は、家族なしでは生きていけない」という彼の心の中に深々と刻まれていく様子が、このエッセイで素直に描かれています。
さらに2人の息子たちとの親子の日々が描かれたエピソードも、このエッセイの見所の一つです。
あばれる君は7歳の長男と2歳の次男の父親でもあり、子どもたちの成長過程が彼の人生観や生活習慣に大きな変化をもたらしたとされています。
彼は以前、「自分自身を世に知らしめることが最大の目標で、自分の好きなことで時間を埋めていくことしか頭になかった」と語っていましたが、子どもが誕生した今、あばれる君の一番の目標は、「生涯の残りの時間で、どれだけ子ども達と楽しい時間を共有し、感動の瞬間を共有できるかを考えること」にシフトしています(「今の僕の生きがい」より引用)。
さらに彼は、「子どもたちをキャンプや旅館、遊園地など、様々な場所に連れて行きたくて、自分が経験し、乗り越えてきた試練をできる限り伝えたい」と望む父親の気持ちを打ち明けています(「今の僕の生きがい」より引用)。
その長男は、現在7歳で野球に熱心に取り組んでおり、あばれる君は彼と一緒に朝早くから練習を行い、週末には少年野球チームのコーチを務めています。
ある時、私たちはたった2人だけでロサンゼルスという大都市へと足を運びました。
その際の目的地の一つが、オフシーズンにも関わらず観光することが許されているドジャースタジアム、野球ファンにはお馴染みの土地でした。
そこで起こった奇妙な出来事、それは一流の野球選手・大谷翔平選手をたまたま目撃したということです。
これこそまさに思いがけない奇跡であり、素晴らしいエピソードとなりました。
また、私たちの旅行中には子供たちと触れ合う機会も豊富にあり、その様子が実に心温まるものであったと同時に、そこから我々の親子の愛情が伝わってくるものだったと思います。
※本稿は、『自分は、家族なしでは生きていけません。』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。