伊藤沙莉さんの父と母
伊藤沙莉さんの父親について
伊藤沙莉さんの父親は、韓国人であり、その生き方は一般的な価値観から見れば奇抜かつ荒々しいものでした。
さらに、父親は多額の借金を抱えていました。
伊藤沙莉さんの父親について詳細な情報は全ては公開されていないものの、彼は韓国人であったことは分かっています。
しかし一方で、伊藤沙莉さん自身は、韓国語を話すことはできず、日本国外に出たこともないと公言しています。
父親は一時期、道路工事関係の会社を運営していましたが、経済のバブル崩壊の影響で会社は倒産、そして多額の借金を一手に引き受ける羽目になってしまいました。
そんな中、伊藤沙莉さんがまだ1〜2歳の頃、突如として父親は姿を消し、両親は離婚を選択、それにより一時的に家族がバラバラになるという運命をたどることとなりました。
彼の父親は酒をこよなく愛し、「ぽんこつ親父」と評されるほどの未練たらしい男でした。
絶えず問題を巻き起こし、如何に生活を乗り切るかを忘れてしまうかの如く日々を過ごす男でした。
多くの人々が普通の日常生活を過ごす中、彼自身の存在は一石を投じるようなものでした。
しかし、彼自身のユーモラスな性格は彼の唯一無二の魅力でした。
それこそが、彼が生きていくための唯一の救いでした。
私の父親は、ごく普通の一日、手元に財布もなく、駅の改札口で出られない状況に見舞われたりと、家族に対して少々迷惑をかけることもしばしばでした。
しかしながら、その父親は、その変わった行動が彼の魅力でもあると、家族に愛され、誰からも憎まれることのない存在だったのです。
私が大学生活を送っていた頃、突然知らない番号からの着信がありました。
その電話の主は数年ぶりに音信を寄せてきた父で、「今刻な追い詰められていて帰宅ができない。
その上新しい着替えもないから、君に届けてほしい」と一風変わったお願いをしてきました。
私は言われたとおり新しい服を届けるために駅へ行くと、お金もないまま改札から出てこられない父の姿がさらけ出されました。
それでも私は父を憎むどころか、その変わった態度が実は愉快で面白いことから、父を好きだったのです。
私の兄で、お笑い芸人として活躍している、「インコちゃん」の愛称を持つオズワルド・伊藤俊介さんは、当時私たちの生計を支えていたというエピソードを持つなど、いつも笑いを提供してくれる人で、その才能は父から受け継いだものかもしれません。
妹であり女優の伊藤沙莉さんと私たちの父親は6年ぶりの再会を果たしていましたが、その時父親は既に病気に侵されていたのです。
両親が別れた後、父親とは全く連絡を取らずにいた私たちでしたが、2008年になって、兄の俊介さんが街中で偶然父親に再会しました。
それがきっかけで、私たちは再び父親と連絡を取り合うようになりました。
そんな風変わりな父と再び連絡を取るようになった私たちを、特に妹の沙莉さんが支えてくれました。
そのおかげで、父は最期を迎える時、家族揃っての別れをすることができたと言えます。
しかし、2014年、私達が父親と6年ぶりに再会した場所は千葉大学附属病院でした。
そこで私たちが見た父親の姿は、痩せて弱っており、声もかすれていました。
実は父は喉頭ガンを患っていたのです。
父が亡くなる最期の時、家族全員が集まり、その中でも沙莉さんが父との連絡を取り続けてくれたことに、私はとても感謝しています。
兄の俊介さんも2020年4月にnoteで、「父との再会の場所は千葉大付属病院だった。
父は喉頭ガンで、老犬のように痩せ、声も小さくて何を言っているか聞き取れない状態だった」と振り返っています。
伊藤沙莉さんの母親について
伊藤沙莉さんのお母さんは塗装事業を営んで、母子家庭の生活を支えてきました。
彼女のお母さんの詳細な情報、例えば年齢や名前などについては、一般人という事もあり不明な部分が多いのです。
伊藤沙莉さんのお母さんの生い立ちは、韓国籍を持つ父親との離婚を経て母子家庭になったものの、伊藤沙莉さんとその兄弟たちを育て上げるべく、塗装業を通じて懸命に生計を立て続けました。
何と言っても、伊藤沙莉さんのお母さんは、朝の早いうちから夜遅くまで休む間もなく働きつづける日々を過ごしながらも、決して暗い顔色を見せることなしに、明るく楽観的な表情を絶やさない人柄なのです。
伊藤沙莉さんのおうちの家庭環境では、お母さんの明るい性格が家族全員の助けとなっていたようです。
そのお母さんについて、「一度もネガティブな表情を見せず、いつも笑顔を絶やさない人で、家庭は明るかった」と伊藤さんは感謝の意を述べています。
実は伊藤沙莉さんが子供の頃、特に好きだったのが雨の日でした。
それは雨の日ならば、塗装業で働き詰めのお母さんが少しは休むことが可能だったからです。
母親は日々働き詰めで、その息抜きができるのが雨の日だけでした。
小さな頃のインコさんは、母親と一緒に過ごす時間をとても愛していたでしょうから、そういう心情からすると、雨が降る日が実はお気に入りだったのかもしれませんね。
一方、女優の伊藤沙莉さんとそのお母様とのエピソードについては、母親がしばしば深い意味の含まれた言葉を発言することで知られています。
伊藤沙莉さんの母親は、一生懸命働いて子育てをしていました。
そのおかげで、伊藤さんがまだ小学2年生の頃には、団地に引っ越すという新たな生活スタートを切ることが可能となったのです。
この新居が伊藤さんにとっては非常に豪華に感じられたそうで、「豪邸だ!」と大いに喜んだそうです。
「いつかもっと立派な家に住む機会がありますが、今日この団地を豪邸と感じた心情を忘れないでください」と、母親から謙虚さや感謝の心を大切にするよう諭されたことを、伊藤さんは今でも覚えているそうです。
そして、母親は息子を忘れず、特に「一人では神輿は担げない」という言葉を度々口にしていました。
これは他の人と協力することの重要性、謙虚さ、相手を尊重する心を子どもに教えるための言葉だったのでしょう。
「一人で立っていると思うな」 「一人で大成したと思うな」というような、母親の生き様そのものが伝わってくるような教えも伊藤さんにとっては大切な引き出しになったようです。
しかしながら、そのお母さんは伊藤さんの芸能活動に直接関わることをあまり好まなかったようで、テレビに出演したのは一度だけでした。
その際には伊藤さんが感激のあまり涙を流してしまったというエピソードも残っています。
芸能人である伊藤沙莉さんが、自身の抱負や家族への感謝の気持ちを語り合った宗じいわしのエピソードをちょっと紹介したいと思います。
もしも彼女の母親が普通の人だとしても、自分の娘が有名人になったことでテレビ出演や独自の取材の機会に恵まれると、喜んで受け入れる人もいるでしょう。
しかし、伊藤さんの母親はそのような申し出を断っているそうです。
それどころか、自分の成功を母親に报いるため、一戸建て住宅を購入しようとする伊藤さんの提案さえ断ってしまったと聞いて驚きました。
しかし、そういった意志を貫く母親の姿勢を見て、伊藤さんは更に一層、自分自身を高め、家族へ感謝の意を示す努力をすることで報いようと決意しました。
そして、その一環として、2023年の年末には初めてお年玉を母親にプレゼントしました。
母親はこの心遣いに深く感激し、涙して喜びの感情を表わしました。
そのような母親の姿を見て、伊藤さんは自分の行動が間違っていないことを確信し、更なる決意を固めたのです。
また、伊藤さんは自分の目標を明確に語っています。
その一つが、母親に自分の名前で一軒家をプレゼントすること。
しかし、この提案に対して母親は最初は固辞し、伊藤さんが稼いだお金は彼女自身のために使って欲しいと主張しました。
しかし、伊藤さんが本気で母親に家を贈りたいという想いを伝え続けた結果、最終的に母親もこれを受け入れることを決意したそうです。
それは、伊藤沙莉さんのお母様があまりにも感心するべき方なのですが、業務に関わる事象だとしても、個人の生活上の事柄だとしても「リタイアしたいという強い意志があれば、それを尊重します」というようなアドバイスをしてきたとのことです。
その真剣なアドバイスが伊藤沙莉さんが女優業に粘り強く取り組み続ける力の源泉となっているように思われます。
また、彼女への助言は「視野をせばめないこと」とともに、「どんなに困難な状況でも、それを放棄することも一つの選択肢」というものでもありました。